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この文章は、『月刊ポスドク』第10号 (2019年2月発行) に寄稿したものです。編集・発行者の許可を得て、こちらに転載しました。

tsutatsuta. 2019. ポットとカップ. 月刊ポスドク 10:4.


ポットとカップ

どの研究室にもたいてい備わっているのが、湯沸かし器である。つまり、電気ポットや電気ケトルと呼ばれるようなもの。研究を進めるうえで欠くべからざる燃料であるドリップコーヒーや紅茶のたぐい、あるいは人によってはより重要度の高いカップ麺のたぐいを、より快適に補給するために、湯沸かし器は大いに役立つものである。湯沸かし器とは、いわば、アカデミアをホカホカと温める縁の下の力持ちである。

この湯沸かし器、研究室内の備品にあっては珍しく、平等な自治がなされている場合が多い。研究室内の備品というと、あいまいな責任の所在とゆるやかな匿名性により、その維持管理の負担が特定のメンバーに偏りがちである。たとえば、しまい忘れた試薬に気づくのも、たまったゴミを捨てるのも、お茶部屋の机をきれいにするのも、いつもする人とまったくしない人にきっぱり分かれてしまう。ところが湯沸かし器にあっては、おそらくはその維持管理の簡単さと (水を入れるだけで、掃除もあまりしなくてよろしい)、その喫緊の必要性のため (お湯がなければお茶が飲めない!)、どのメンバーであっても気を遣って手入れするようなのだ。

たとえ殺伐とした研究室にあっても、湯沸かし器の周囲だけは温かい湯気がホカホカとただよっている。人びとは、休憩がてら湯沸かし器のあるところに集まり、温かい飲み物片手に、平和な雑談に花を咲かせるのである。お湯を入れる人の顔は真剣そのものであり、よけいな雑念が入り込む余地はない (そうでなければ指に熱湯を注いで火傷するであろう)。カップから立ちのぼる湯気は蛍光灯の光に照らされてゆらゆらと輝き、アカデミアの厳しい現状を少しのあいだ忘れさせてくれる。

このように神聖な湯沸かし器であるからして、これを冒涜するものは強く非難される。深夜の研究室でお腹をすかせて、ほかに誰もいないことを幸いに、湯沸かし器の中にレトルトカレーをポチャリと放り込んで温めたりしてはいけないのである。もし誰かに見られれば、あなたは翌日から村八分の危機にあうだろう。もちろん、湯沸かし器でパスタを茹でるなんて言語道断。「出湯」ボタンを押したら茹で上がったパスタがニュルニュルと出てくるかどうかを確かめてみたい気持ちは誰しも抱いたことがあるけれど、そういう実験は家でするのが無難である。

湯沸かし器と対になって語られるのは、カップである。研究者というものはたいてい、それぞれに専用のカップを研究室に常備しており、これを使って飲み物を飲む。世界のあちこちに出張したり、研究室にも世界のあちこちから人がやってくるものであるから、そのカップは多様である。「◯◯ University」と書かれた海外の大学のおみやげや、「◯th ◯◯ Conference」などと書かれた学会のノベルティは、定番中の定番である。ご当地もののタンブラーなどもわかりやすい。研究対象のイラストが描かれたカップで個性を主張する人もいれば、まったくこだわりなく、研究室にもともと置かれていた無個性なカップをそのまま個人用に使ってしまう人もいる。研究室のお茶部屋の戸棚を覗いてみれば、これまでにその研究室に来歴したさまざまな人びとの忘れ形見であるさまざまなカップがひっそりとたたずんでおり、研究という営みの地球規模のスケール感を感じることができるであろう。

思えば、ポットも万国さまざまである。留学生が電気ポットを困ったように見て、これはどこを押せばお湯が出るのか? と尋ねてきたことがある。その日以降、電子ポットのボタン類には、機能の英語表記がテプラで貼られることとなった (私が作って貼った)。そして、軟水の日本では、ポットの掃除は年末に1度だけ、という研究室も多いだろう (余談だけれど、熱いままのお湯にポットの洗浄剤を入れると、あっというまに発泡してお湯が吹き上がり、ひどいことになる。興味があれば、無知をよそおって試してみると良い)。しかし硬水の国では、ケトルにはすぐにカルシウム成分がびっしりくっついて、なんだか薄気味悪い状態になってしまう。

今も世界のさまざまな場所で、湯沸かし器やカップがひそかに研究という営みを支えていることを想うと、知らずと温かい気持ちになってくるのである。




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