この文章は,『Anthropological Letters』第7巻1号 (2018年12月発行) に寄稿したものです.人類学若手の会の許可を得て,こちらに転載しました.
蔦谷匠. 2018. フォーラム「研究の方法論」—7— 書評の書き方. Anthropological Letters 7:2–3.
フォーラム「研究の方法論」—7— 書評の書き方
研究の方法論について、ほかの人のやり方を知りたいなと思い、フォーラムというかたちで連載企画をはじめてみました。論文の書き方、文献管理、図の作り方、学会発表のコツ、モチベーションの維持といった、研究という営みの重要なプロセス (研究内容のような成果でなく) について紹介していただきたいなと思います。というのも、研究者として仕事をつづけていくうえでもっとも大切とも言えるところなのに、こうした方法論を体系的に学ぶ場は、日本の高等教育では少ないと思うからです。ほかの人の方法を知ることで自分の方法を精錬させられますし、自分の方法論を言語化することで新しい発見があるかもしれません。
書くべき本
研究者が書評を書くという営みは、いったいどのような状況で生じるのでしょうか。たまたま読んでみた本がすばらしかったので、このすばらしさをぜひほかの研究者たちにも伝えたい! という美しい動機で書評が書かれることももちろんあるでしょう。しかし、このご時世、誰もが忙しく、研究者としてはあまり業績にならない書評なんか書いてる暇があったら1パラグラフでもいいから論文を書き進めたい! というのがだいたいの人の本音かもしれません。自身の内側から湧き上がる感動だけで書評が書かれることは稀で、外からの依頼 (圧力?) がなければ、書くだけの時間や気力もなかなか確保できないような気もしてきます。
私はこれまでに、学会誌や商業誌あわせて6本の書評を書いてきましたが、いずれも、依頼ベースのものでした。平たく言うと、新しく上梓した書籍を献本するから、(宣伝や読み物のために) そのかわりに書評を書いてくれませんか? (商業誌の場合にはさらに報酬が発生する場合もあります) といったようなものです。なんというか、ちょっとこう、「ステルスマーケティング」っぽい気もしますが、私は、世の中に存在する書評というものの総量が増えるのは純粋に楽しいことだと思います。動機や背景は何にしても、雑誌の書評欄を通じて、これまで知らなかった書籍に出会えたり、自身も読んだことのある書籍についてほかの人の受け止め方を知れたりすることは、読書好きにとっては無類の楽しみですし、研究活動を進めるうえでも有益です。
書評を書くには (私の場合
さて、依頼ベースにせよ内的感動にせよ、何かの本について書評を書くことになったとき、まずするべきは、その本を読むことです。当該の書籍を読まないで書評を書くというのは、もしかしたら可能なのかもしれませんが、どんな影響が現れるかわからない黒魔術を行使するような気分になってきますので、私はまだやってみたことがありません。
書籍を一度、通しで読みながら、気になるところにシャープペンで線を引いたり書き込みをしたりして、読みながら自分の感じたことや心が動いたことを記録していきます。10−20%くらい読み進めると、気になる箇所が、なんとなく類型化できるようになってきます。同じような主題を扱ったところに線を引いていたり、いくつかの箇所からまとまったひとつの共通項が現れてきたり。そうした類型のなかでも特におもしろそうなものを、ちょっと俯瞰的な視点から3−4個選びだして、「この本はこれら○○の視点から論じることができるのではないか」という仮説を立て、そのことを念頭に置きながら、続きを読んでいきます。先を読んでいく過程で、そうした視点に関連する項目がまた現れてきたら、今度は付箋を貼るなどして、ほかの箇所から区別しておきます。
もちろん、読み進めていくと、仮説が成り立たなくなっていくこともあるのですが、たいていひとつくらいは生き残る視点がありますし、もし仮説が全滅しても、特定の視点から関連づけて論じることのできるいくつかの箇所のまとまりは手元に残ります。書籍を読み終わったら、そうしたもののなかから特におもしろいものを選び出し、付箋やマーキングを参考にしながら関連する箇所をぱらぱらと読み直して、書評のストーリーを立てます。簡潔かつ具体的に紹介でき、読者の興味を引きそうな、関連するエピソードなどが書かれていたら、ぜひ書評に入れ込みましょう。抽象的な書評は読んでいて退屈ですが、本の内容が具体的におもしろく紹介されていると、好感度は大きく増加する気がします。
こうして、自身の視点から見た、その書籍の紹介を書き上げます。書評というものは、書籍の一般的な紹介であるとともに、評者の意見を表すものでもあると私は思っています。評者自身の視点を入れることで、誰が書いても同じになってしまう単なる「紹介」ではなく、読み物としてもおもしろい書評ができるかもしれません。
3. 緩急つけて読む
プリントアウトした論文には、論文執筆と実験・測定時に役立ちそうなところ、すぐは役立たないが次の研究テーマなどにつながり得る、いま気になっているところ、を鉛筆などでマークしておきます。重要なのは、専門どんぴしゃな論文でもそうでない論文でも、この段階では「とばし読み」をすることです。熟読しないし、内容も6-7割しか理解しませんが、どこが自分にとって大事なところかだけはしっかり判断します。
こうしてマークした大事なところは、日本語に訳してテキストにまとめておきます。内容をきちんと理解するのはこの作業をしているときです。大事さの度合いが高いほど、分量や逐訳度合いが大きくなります。文中の主張を支える引用文献もしっかりわかる形にしておきましょう。このまとめが、研究の背景知識を支える実質的な財産になります。
なお、とばし読みはどこでもできるので、気になる論文はいくつかプリントアウトしておいて、移動中とか旅先とか、通常の仕事環境にないときにまとめて処理することが多いです。そうした場面でマークした論文は、落ち着いて机の前に座って仕事ができるときに、こつこつとテキストに落とします。私はこのとき一緒に (1-1) の引用文献たどりをすることが多いです。
何のために書くか
もしかしたらいちばん大事なことですが、何のために書評を書くのかも、考えておいたほうが良いでしょう。本がもっと売れるようにするための宣伝の役割を持っているのか? 自分の感動をもとに新たな読み物を作り出すのか? 書評を読んだ読者にどのようなアクションを期待するかで、何をどのように取り上げて書くかは、微妙に変わってきます。
そうして、書評を書くということによっていちばん得をするのは、実は、評者自身かもしれません。書評を書くという機会でもなければ手に取らなかったり、流し読みしたりしてしまう本を、じっくり読み込める良い機会になります。どんな書評を書こうかな……と考えながら読むことで、その本に現れている新たな視点に気づくこともあります。ついつい、目先の忙しさや慌ただしさに心を奪われて、書評なんか書いてる時間はない! なんて思いがちですが、もうちょっとゆったりした気持ちで書籍を読み込む余裕を持てればいいなと、強く思うのでありました。