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この文章は,『月刊ポスドク第9号 (2018年8月発行) に寄稿したものです.編集・発行者の許可を得て,こちらに転載しました.

tsutatsuta. 2018. 学振PDのリモートワーク体験記. 月刊ポスドク 9:6–7.


学振PDのリモートワーク体験記

学振PDとして京都大学に所属しつつ、入籍を期に居住地を沖縄に移してリモートワークしていた1年間のことについて記します。動機や迷い、研究の進め方や精神面など、個人的なことについて書いていますが、この1年のあいだに、こうした個人的な事情を人と共有できればだいぶ精神が楽になることに気づき、私の体験談も今後だれかの役に立つかもしれないと考え、記してみました。ただし、制度やルールに関しては、研究機関や研究分野によって状況が大きく異なると思いますので、ここではあまり深入りしません。


背景情報と経緯

時系列に沿って経緯を記すとこんな感じになります。

リモートワークが可能になった背景には、私の研究スタイルと所属先の状況があります。私は実験系の研究者ですが、京都大学の所属先はフィールドワークを中心に研究を進める研究室だったため、利用可能な実験室がなく、フィールドに赴いてサンプルを採取してきたあと、実験や測定をするのには他機関の設備を利用していました。いつからいつまでいなければならないといった「コアタイム」のようなものも一切なく、週1回のゼミでみんなが集うのだけが通例になっていました。また、授業などの受け持ちもありませんでした。つまり、京都ではデスクワークとゼミ参加のみ、という状況だったのでした。


動機: この先一緒に住める機会があるだろうか?

住居だけ沖縄に移してリモートワークすることにした理由は、妻と同居するためでした。研究者は限られたポストをめぐって、日本全国や海外までも、職があるならどこへでも動いていくことが半ば宿命づけられた職業です。特に私たちのように、夫婦が両方とも研究者だった場合、おたがいの勤務地が一致する可能性はきわめて低く、この先一緒に住めるチャンスが果たして来るだろうか? という悲観的な見通しがありました。

たとえば、年代が上の研究者夫婦では、勤務地が離れているためずっと別居状態で、やっと同居できるのは定年退職後、といった事例が、私のまわりでは散見されます。入籍にあたって妻とたがいの価値観を話し合った際、一緒に暮らしたいということがかなり上位に挙げられたこともあり、できるときに一緒に住んでおこう、ということで、比較的自由に動ける立場にあった私のほうが、同居とリモートワークをすることになりました。


迷い: 漠然とした孤立の不安と遠慮

ただし、いざそう決めてはみたものの、実行に移すまでには迷いがありました。もともと週1回とはいえ、研究室のゼミにほとんど参加できなくなってしまいます。ゼミでは、院生の研究に対してポスドクの立場からの助言やコメントが期待されていたこともあり、受け入れ教員への遠慮がありました。また、キャリアへの漠然とした不安も感じました。京都では定期的に勉強会やシンポジウムが開かれ、また研究室で同僚や来訪した研究者と議論することで、人的ネットワークや新たな知識が広がっていきます。こうした「所属」から切り離されて、馴染みのない沖縄という地でひとり在宅ワークをしていては、就職などのチャンスを逃すかもしれない、という恐れを感じたのでした。

こうした不安から、私の頭の中には、やはり私は京都に居住したまま、沖縄に住む妻のもとには長期で頻繁に通えば良いではないか、という妥協案が浮かびます。本当に同居・在宅ワークで良いのか、何度も繰り返し、迷いが生じました。


決心: 積極的にオルタナティブな選択肢をとってみること

そうした迷いからふっきれて、決断をする後押しになったのは、研究者のジェンダー非対称に関する講演でした。2016年12月に同志社大学で開催された日本バイオロギング研究会・女子会ワークショップ「研究者のLifeを考える」というシンポジウムに参加した際、講演者のひとりが、米国の学会のデータを示されていました。研究者夫婦が勤務の都合で別居することになったとき、仕事や研究をやめて配偶者についていく事例が圧倒的に多かったのは、女性のほうであることが紹介されていました。

このデータを見たとき、私は自分のことがすこし恥ずかしくなりました。研究者のジェンダー問題には関心を持っているつもりだったのに、いざ自分ごととなると保守的な選択をしようとしており、もしかしたら私が別居を選択したことにより、将来的に、妻には研究者をやめるという選択をとらせてしまうかもしれない、ということに気づいたからでした。

それに、将来もし万がいち、私がパーマネントのPI職に就けたりすることがあったとして、そのときに研究者のワーク・ライフ・バランスの充実を主張したとしても、自分自身がキャリアのなかで仕事 (研究) ばかりを優先し、私生活を犠牲にして (そのコストを誰かに押しつけて) その立場についたのであったら、なにも説得力がないではないか……と思ったのでした。


仕事のこと: 個人個人に方法やコツがある

在宅でリモートワークをしてみると、あんがい研究が進まないことに驚きました。デスクワークをしながら、部屋の散らかりが気になってついつい掃除をはじめてしまったり、夕飯の準備をしようとふらふら台所に立ってしまったり。リモートワークなんて余裕だろうと、自分自身を過大評価していたことを思い知りました。

1年間続けてみて、リモート/在宅で効率的に仕事を進めるには、それなりの方法やコツがあることを学びました。たとえば私の場合は、近所のカフェを有効に使うことや、1日の最初に今日の作業とタイムスケジュールを宣言しておくこと。同じく在宅ワークをする友人の研究者は、妻と子供が家にいるあいだはいっさい仕事をしないが、逆に、送り出したあとはいっさい家事をしない原則を定めている、と言っていました。こうした方法やコツは個人個人で勘所が異なるかもしれませんが、逆に言えば、そうした方法やコツさえ把握できれば、誰でもリモート/在宅で仕事ができるということかもしれません。

制度やルール的にリモートワークを支援する動きは、特にIT企業などで広がりつつありますが、その先に、在宅/リモートワークを個人個人が物理的・精神的にどのように運用していくか、という問題があります。そうした面に対する支援やケアも、もしかしたら必要なのかもしれません。

またもちろん、本来の所属先の職場の人たち (受け入れ教員、事務のみなさま、同室の同僚など) との意思疎通やコミュニケーションは、非常に重要です。リモートワークの際には、所属先に通って研究をしていた時期以上に、事前相談や連絡を密にする必要があります。職場の人たちの大きな理解と協力のもとでリモートワークが可能になっていることを忘れてはいけないと思います。


精神面のこと: 情報共有の重要性

在宅リモートワークの最初の半年間は、精神的に苦しい時期でした。仕事の進め方を自分なりに会得するまでのあいだは、研究がなにひとつ進んでいないような強迫観念に苦しめられ、また、自分がアカデミアの現場からどこか切り離されてしまったような孤独感も感じていました。学振PDの任期がこの年で切れるため、次のポジションを探さねばならなかったという状況も、追い打ちをかけていたように思います。こうした不安はそれぞれが増長しあうかたちではたらきます。

精神的な苦しさを救ったのは、同僚や妻との情報交換やおしゃべりでした。同様の立場にある研究者仲間と、学会で会ったときに近況を報告しあったり、妻の所属する研究室にお邪魔して、ゼミに参加してきたり。そして、研究者の働き方に関するプライベートな面でのノウハウは、あまり情報が共有されていない印象がありますが、そうした面での情報公開や情報交換は、なによりも有益です。

私は感情の起伏が平坦と見られているようで、こうした精神的苦労を人に話すと、いつも驚かれました。逆に言うと、自分も、多様な働き方をしているほかの研究者のことを「あの人なら大丈夫だろう」とか「あの人はきちんと仕事をしているのかしら?」などと自身のイメージで勝手に判断している可能性があるということです。自身の考えが偏見や先入観に染められている可能性には、常に敏感でいなければならないな……と認識を新たにしたのでした。


より良い未来に向けて

そして研究者のジェンダー不平等の問題に戻ると、研究や仕事をかなりの程度あきらめて配偶者についていって同居するという「重荷」は、現状、男性より女性のほうに頻繁に負わされているのではないかと思います。男性である私がこのような自己憐憫に満ちたエッセイを書く何十年も前から、女性研究者はそうした重荷を背負わされ、しばしば研究をやめるという選択肢を取らざるを得ない状況に陥ってきたわけです。

自身が体験してみてはじめて、そうした状況にともなう苦労や努力に関して、私はあまりにも無知だったことに気がつきました。研究者の道は苦しいものだとか、研究を続けるには私生活のことは犠牲にしなければならないとか、「マッチョ」な考え方は研究者のあいだにけっこう蔓延しており、そうした考え方は誤っていると言い切れない現実もたしかにあります。

ですが、そうした「マッチョ」な考え方を自分たちに適用して、研究以外のことは犠牲にしなければならない厳しい研究者生活やキャリアを再生産することで、果たして、研究者である私たち自身は幸せになっているのだろうか? ということを、いまいちど考え直すべきときに来ているのかもしれません。




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