イヌ新生児の骨に残存した乳タンパク質の検出
- 1000年以上昔の北海道の遺跡から発掘されたイヌ新生児の骨を古代プロテオミクス分析しました。
- 2種類の乳タンパク質が検出され、母イヌの乳に由来すると結論づけました。
- このイヌ新生児が亡くなる直前に飲んだ乳が、遺体が分解されていく過程で消化管から染み出し、骨に吸収され、現代まで残存したと考えられます。
- 古代プロテオミクス分析により、このようなごく微量のタンパク質を検出し、当時の動物の暮らしや死に様を復元できます。
背景
遺跡から発掘された昔の遺物を最先端の手法で分析することによって、当時に生きていた人びとのことやその生活環境を明らかにする研究が、近年大きく発展しています。古代プロテオミクスはそのひとつの例で、近年研究事例が増加しはじめています。生物や組織によって発現するタンパク質は異なるため、遺物に含まれる古代タンパク質を検出し同定すれば、その生物種、由来する組織、その個体の健康状態などがわかるのです。しかも一部のタンパク質はDNAよりもずっと残存しやすく、古代ゲノミクスよりも多様な遺物を分析できる可能性があります。
近年の古代プロテオミクスの研究は、高感度の質量分析計の開発とゲノム情報の拡充によって大きく進展しました。従来の免疫学的な検出法に比べて、質量分析を用いた最新の手法は、より微量のタンパク質でも検出でき、特異性が高く、検出したいタンパク質を事前に設定せずに網羅的な同定が可能です。ゲノム情報からタンパク質のアミノ酸配列を得て、質量分析した際のスペクトルパターンを計算してデータベースをつくり、質量分析の結果をこのデータベースに照らし合わせてタンパク質を同定するのです。
本研究では、1000年以上昔の北海道の遺跡から発掘されたイヌ新生児の骨を古代プロテオミクス分析したところ、死亡直前に摂取した母犬の乳に由来すると考えられるタンパク質が検出されました。
対象・方法
北海道の礼文島にある浜中2遺跡から出土した、1060–1590年前頃のイヌ新生児の骨を利用しました。歯の萠出状態から、共同研究者により、生後2週間で亡くなったと推定されました。この遺跡からは例外的にたくさんの生物遺存体が出土し、また1年を通して寒冷であることから、全体的に、遺物の保存状態が非常に良好です。
このイヌ新生児の肋骨3本と椎骨1個をプロテオミクス分析に供しました。遺跡の土壌と、実験室の試薬類なども、ネガティブコントロールとして同様に分析しました。
結果・考察
1本の肋骨を2つに切断してそれぞれ分析したものから、βラクトグロブリンと乳漿酸性タンパク質という、乳のみに含まれるタンパク質が検出されました。検出されたアミノ酸配列は、イヌのものと完全にマッチしました。ネガティブコントロールから乳タンパク質が検出されることはありませんでした。ヒトがイヌの乳を絞って遺体に注ぐようなこともまず考えられません。こうしたことから、牛乳やヒトの乳がコンタミネーションしたわけでもなく、検出された乳タンパク質はイヌに由来するものであると結論づけられます。
母犬の乳を飲んだ生後2週間の仔犬は、その後すぐに何らかの理由で亡くなって遺跡に埋没し、遺体が分解されていく途中で消化管から染み出した乳がたまたま肋骨に吸収され、骨に吸着した乳タンパク質が1000年以上の時を経ても分解されきらずに残り、古代プロテオミクス分析によって検出されたということになります。肉眼で観察する分にはいたって普通の仔犬の骨から乳タンパク質が検出されたことにより、この個体の死亡時の状況をより詳しく推定できるようになったのです。
古代プロテオミクスは、古代ゲノミクスに比べて、まだまだ新しい分野です。今後、動物やヒトの骨をはじめとして、遺跡から発掘されたさまざまな遺物に古代プロテオミクス分析を適用することで、目には見えない微量なタンパク質の証拠から、当時のヒトや動物の暮らしぶりや死にざまがより鮮明に復元できるようになることでしょう。
論文情報
研究紹介
仔犬の骨はおっぱいの夢を見るか?—古代プロテオミクス分析による1000年前の乳タンパク質の検出— | academist Journal
雑記
古代プロテオミクス分析はデンマークのコペンハーゲン大学にて実施しました。コペンハーゲンではイヌも電車に乗ることができ、大きなイヌも飼い主と一緒にぬっと乗ってきておとなしくしていました。周りの人も別段気にしないところが良いなあと思ったのでした。 (2018年2月撮影)。