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生態学研究の新たな手法「糞プロテオミクス分析」



背景

糞は、対象の動物を傷つけたりストレスを与えたりすることなく、野外調査の過程で比較的簡単に入手できる生物試料です。糞にさまざまな分析を適用することで、動物の生態や進化に関して多くの事実を明らかにできます。たとえば、糞中に含まれる未消化の食物残渣の同定、炭素・窒素安定同位体分析、食物に由来するDNAの分析により、その個体が最近食べた食物がわかります。糞に含まれる体組織由来のDNAを分析すれば、その個体の分類群や遺伝的背景が明らかになります。糞中に排出される内分泌ホルモンを分析すれば、その個体のストレスレベルや繁殖状況がわかります。

しかし、糞に含まれるタンパク質は、これまでの生態学の研究対象になっていませんでした。なぜなら、免疫抗体反応を利用した従来の手法では、消化管で分解を受けた雑多なタンパク質を網羅的に分析することができなかったためです。しかし、ここ数十年で、質量分析計を利用したプロテオミクス分析が医学や生物学で急速に発展し、タンパク質の研究に革命をもたらしています。タンパク質を、ごく微量であっても、部分的に分解されていても、事前に対象を定めることなくアミノ酸配列を決定し、網羅的に同定できるようになったのです。本研究ではこうした最先端のプロテオミクス分析が生態学の研究においてどのくらい有用なのかを検討しました。

タンパク質は生物の身体を構成し機能を担う実体で、そのアミノ酸配列には遺伝情報も反映されています。こうした特徴の組み合わせは、DNAやホルモンなどほかの分子には見られず、タンパク質に独自のものです。したがって、糞に含まれるタンパク質を網羅的に同定し配列を決定できれば、これまでの分析では検証することのできなかった生命現象を遡及的に明らかにできます。



対象・方法

本研究では、分析のモデルケースとしてニホンザル(Macaca fuscata)を選び、京都大学の霊長類研究所に飼育されている個体から得られた糞10点をプロテオミクス分析しました。発達段階、食事内容、健康状態などがよくわかっている飼育下の個体を利用して分析を実施し、結果を「答え合わせ」することで、方法の有効性を検証できるのです。

共同研究者に採取していただいた糞は、デンマークのコペンハーゲン大学でプロテオミクス分析しました。



結果・考察

コンタミネーションしたと考えられる外来タンパク質を除き、10サンプルから、全部で741種のタンパク質が同定できました。ニホンザル由来、食物由来、バクテリア由来のタンパク質はそれぞれ425種類、76種類、240種類でした。本研究では、タンパク質の抽出法を工夫し、バクテリア由来のタンパク質があまり検出されないようにしました。

授乳中のアカンボウの糞からは、母乳由来のタンパク質 (カゼインやラクトアルブミン) が検出されました。飼育下では、ニホンザルは生後1ヶ月程度から固形食を摂取しはじめ、6ヶ月から1歳くらいで母乳を摂取しなくなります。哺乳類の授乳・離乳はこれまで行動観察や安定同位体分析によって研究されてきました。しかし、行動観察では、アカンボウが母親の乳首を口でくわえて安心しているだけなのか、本当に母乳が出ているのかを区別できません。同位体分析では、母乳以外の要因にも結果が影響されるため、ノイズ過多となり間接的な結果しか得られません。そうした従来の方法に対し、糞プロテオミクス分析を利用すれば、アカンボウ個体の授乳・離乳状況に関する直接的な証拠が得られることがわかりました。

ニホンザルの糞からは、与えている餌に由来するタンパク質も検出されました。コメ、ダイズ、トウモロコシ、コムギ、ピーナッツ、サツマイモのうち、ピーナッツを除くすべての食物のタンパク質が糞から検出されました。特定の組織に特異的に発現するタンパク質も検出でき、コメなら米 (種子) の部分、ダイズなら豆 (種子) の部分など、どの植物部位が餌になっていたのかもわかりました。動物が摂取した食物の分類群を推定する際、これまでは主に、糞に含まれる食物由来DNAが分析されてきました。そうした従来の方法に比べ、糞プロテオミクス分析では、分類群だけでなく、その食物が由来する部位や組織の情報も明らかにできる利点があることを示しました。

糞からは免疫関連や腸内細菌のタンパク質も検出され、その結果から個体の生理状態も推定できる可能性が示唆されました。本研究の対象個体は飼育下にあり健康状態が良好で、微生物に対する生体防御に関連するタンパク質(抗体など)が糞から多く検出できました。また、ビフィドバクテリウム属の腸内細菌のタンパク質は授乳中の個体で特に多く検出され(図4)、DNA分析による先行研究で明らかにされているとおり、授乳・離乳と腸内細菌叢の関連が示されました。オトナになると発現しなくなるラクターゼ(乳中の糖の分解に関連するタンパク質)は、アカンボウとコドモの糞のみから検出されました。糞プロテオミクス分析によってこうした特徴を明らかにすることで、腸内の生理状態を推定できるだけでなく、糞をした個体の年齢区分も推定できる可能性があります。

野生哺乳類の多くは絶滅の危機に貧していながらも、その生態がよくわかっていない場合も多くあります。生態や進化を明らかにする際、行動観察はよく用いられる方法ですが、時間がかかり、多くの人力を必要とする欠点があります。これに対し、糞プロテオミクス分析は、調査地から糞を採取してくるだけで、食性や生理状態について多くの事実を明らかにできます。生態学研究のほかの手法と組み合わせることで、対象とする動物の生態を総合的に明らかにできると期待できます。しかし、本研究は条件の良い飼育下の個体を対象にしており、実際の野生個体群への応用にはさらなる検討が必要す。必要な試料数や有効な糞の保存方法について、さらによく調べていく必要があるでしょう。



論文情報

Tsutaya T, Mackie M, Sawafuji R, Miyabe-Nishiwaki T, Olsen JV, Cappellini E. 2021. Faecal proteomics as a novel method to study mammalian behaviour and physiology. Molecular Ecology Resources 21: 1808–1819. DOI: 10.1111/1755-0998.13380.



プレスリリース

ウンチは宝の山:生態学研究の新手法「糞プロテオミクス分析」 | 総合研究大学院大学



研究紹介

Studying ape faeces can explain why humans breastfeed for such a short time | Science News



雑記

これまで専門としてきた安定同位体分析の霊長類生態学における限界を知り、また、自身の研究者としてのあり方にも自信が持てなくなったポスドク時代に、この研究のアイデアを着想しました。当時所属していた京都大学の人類進化論研究室のメンバーとの議論のなかで、子ザルが飲んだおっぱいの成分が糞に出ているのでは? 最先端の質量分析を利用すればそれが検出できるのでは? と思いつきました。最初はそんなことあるものかと思っていましたが、文献を調べると、ヒトの赤ちゃんのうんちから母乳の成分を検出した研究が何十年も前に出されており、しかしその後のフォローアップがまったくなされていないことがわかりました。うまくいくかわからないけれどやってみようと思い直し、コペンハーゲン大学の古代プロテオミクス分析を専門とする研究者に連絡をとって共同研究をお願いし、デンマークに渡航してプロテオミクス分析のいろはを教えていただきながら実験をしました。最初の実験とデータ解析が終わって、糞から検出されたタンパク質をざざっと見ているときにカゼインを発見し、そのときにこの研究の成功を確信しました。それから出版までにさらに数年かかりましたが、こうして新たな着想が日の目を見てうれしく思います。

写真は、生後1日目のアカンボウの胎便 (2017年12月撮影)。

Meconium sample of Japanese macaque




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