都立一橋高校遺跡における授乳・離乳習慣復元
- 江戸時代前期の江戸の一橋高校遺跡 (1657–1683年) 出土の古人骨集団について,同位体分析という手法を用いて,授乳・離乳習慣を復元しました.
- その結果,離乳開始は約0.2歳,終了は約3.1歳と推定されました.これらは江戸時代に書かれた育児書の記載と同様の離乳年齢です.
- この比較的遅めの離乳終了年齢は,初期の江戸都市の拡大が自然増加でなく人口流入によっていたとする歴史学の仮説を支持します.
背景
徳川家が天下をとった1603年から18世紀前半までのわずか約100年間で,江戸は,町人人口で50万,武家や寺社などをあわせた総人口で130万とも言われる,当時世界最大級の都市に発展しました.この急激な人口増加は,居住者の出生活動による自然増加ではなく,近隣の農村地域からの人口流入によってもたらされたと,歴史学や歴史人口学の分野では考えられてきました.しかし,江戸のような大都市の,しかも前期の人口に関する文献史料 (幕府の公式文書や宗門人別改帳など) はほとんど残っておらず,この説を実証的に検討するには,他の資料によるアプローチが必要でした.
ところで,人口動態は,出生と死亡,移入と移出のバランスで決まります.そして,集団の出生率を決定する重要な要因に,授乳期間があります.授乳時の搾乳刺激は,内分泌ホルモンを介して,女性の排卵再開を抑制します.このため,栄養条件が同じなら,授乳期間が長いほど (つまり離乳が遅いほど) 出生間隔も長くなり,出生率も低くなる傾向があります.
この原理に着目し,本研究では,前期江戸の町人集団における離乳年齢を復元し,江戸の人口動態について考察しました.もし離乳が遅く (つまり出生率が低い),死亡率も高ければ,歴史学で示唆されているように,前期江戸の人口増加は移入によると考えられます.反対に,もし離乳が早ければ (つまり出生率が高い),人口増加の要因として,居住者の出生活動による自然増加も考慮しなければならなくなります.
離乳年齢の復元には,古人骨の同位体分析の手法を用いました.遺跡から発掘されたヒトの体組織 (骨など) に,同位体分析という手法を適用することで,過去の人びとの授乳期間,離乳食の内容,食べ物などを復元することができます.これは,母乳や食物に含まれる炭素や窒素の安定同位体がトレーサーとなって,ヒトの体組織に記録されるためです.
対象・方法
対象としたのは,都立一橋高校遺跡 (東京都千代田区・1657–1683年) から発掘された子供,大人の骨です.この遺跡は,前期の江戸時代を代表する有名な遺跡で,1975年に発掘され,200体以上の人骨が出土しました.早桶や土壙墓といった埋葬様式から,町人層の人びとが葬られたと考えられています.
共同研究者に協力をいただき,歯がどの程度生えているかという基準から,それぞれの子供の死亡年齢を推定しました.
結果・考察
同位体分析とデータ解析の結果,一橋高校遺跡の子供たちは,0.2歳頃 (95%信頼区間: 0.0–1.3歳) より母乳以外の食物からタンパク質を摂取しはじめ,3.1歳頃 (95%信頼区間: 2.1–4.1歳) には母乳を摂取しなくなることが明らかになりました.
江戸時代にはさまざまな「育児書」が書かれており,授乳・離乳習慣に言及したものもいくつかあります.それらはたいてい,望ましい離乳開始年齢として0.5–1.0歳くらい,終了年齢として2.5–3.5歳くらいを挙げています.本研究の結果は,こうした文献史料の記述と整合的でした.
一橋高校集団の3.1歳という離乳終了年齢は,現代日本や米国の一般的な年齢 (1–2歳),中世および工業化時代の英国で復元されている年齢 (2歳以下),現代の伝統的社会の平均的な年齢 (2.4–2.7歳) と比べて遅めでした.江戸時代の近隣農村部における離乳年齢が不明なため,厳密な比較ではありませんが,江戸時代前期の江戸都市住民の授乳期間は長めだったことが示唆されます.
歴史人口学の研究により,江戸時代前期の農村では,全体的に,婚姻率の増加によって世帯数が増加し,出生率も増加したことが明らかになっています.また,古人口学の研究により,一橋高校集団における死亡率は,江戸時代後期の農村部よりも高かったことが明らかにされています.江戸時代前期・中期の江戸では,女性に比べて男性の人口が約2倍程度大きかったこともわかっており,出生率に関わる要因である婚姻率はそれほど高くないと予想されます.
これらの証拠と本研究の結果をあわせて考えると,前期江戸の人口増加は,居住者の出生活動による自然人口増加というより,農村部からの人口移入によって支えられていた,という仮説が強く支持されます.
論文情報
参考文献
内藤昌. 2013 (1966). 江戸と江戸城. 講談社, 東京.
山住正己・中江和恵. 1976. 子育ての書. 平凡社, 東京.
雑記
一橋高校遺跡のジオラマが,江戸東京博物館に展示されているようです.いつか観に行きたいと思っているのですが…
下の写真は,境内に明暦の大火供養塔のある本妙寺 (2013年12月撮影).一橋高校遺跡の人骨出土層は,明暦の大火 (振袖火事とも呼ばれる1657年の大火災) の焼土と考えられる層の上にあり,これによって年代が特定されたという経緯があるそうです.