吉胡貝塚の縄文人集団における授乳・離乳習慣の復元
- 縄文時代の吉胡貝塚出土の小児骨について,同位体分析という手法を用いて,授乳・離乳習慣を復元しました.
- その結果,離乳終了は3歳6ヶ月ほどと推定されました.これは,狩猟採集で暮らす人びとのあいだでは比較的遅めの年齢です.
- 人類学・考古学では,土器や植物質食物の利用によって離乳年齢が早まったとする仮説がありますが,吉胡貝塚の結果からは,この仮説は支持されませんでした.
- 人類学では,離乳中や離乳後の子供には特別な食物が必要ではないかとする仮説がありますが,吉胡貝塚の集団では,そうした食物は特に検出されませんでした.
背景
ヒトは進化の歴史の大部分を狩猟採集によって生きてきましたが,約1万年前以降に世界中で農耕が開始されていきます.これまでの研究により,農耕が開始されると集団の出生率が増加する例が多いことが明らかにされてきました.この理由について,栽培植物を土器などでやわらかく調理して離乳食に使えるようになったためではないかとする仮説がありました.離乳が早まると,内分泌ホルモンの影響などで,母親の排卵再開が早まり,出産間隔が短縮する傾向があるためです.しかし,農耕の開始は,単に土器の利用開始や植物の利用性の向上と関連するだけでなく,働き方や集団構造の変化とも関連しており,土器と植物質の食物それ自体が離乳年齢に与える影響はきちんと調べられていませんでした.
そこで注目されるのが縄文時代です.縄文人たちは,主に狩猟採集によって暮らしていましたが,狩猟採集の集団としては珍しいことに土器を利用し,また本州では特に,植物質の食物を豊富に活用していたことがわかっています.働き方や社会の仕組みとしては狩猟採集的で,しかし土器を利用し植物質の食物を活用する点では「農耕」的な縄文人たちの離乳年齢を調べれば,農耕が開始されると出生率が増加する現象についてより詳しく理解するための情報が得られます.
遺跡から発掘された古人骨に安定同位体分析という手法を適用すれば,過去の離乳年齢がわかります.母親の食べる食物に比べて,母乳では窒素の重い安定同位体の存在比率 (窒素同位体比) が高くなります.子供の体組織の窒素同位体比は,子供が授乳されているあいだは母親より高くなりますが,離乳が始まると低下しはじめ,離乳が終わって母親と同じものを食べるようになると,母親と同じ値に落ち着きます.過去の子供の骨の窒素同位体比を年齢ごとに調べることで,集団のなかでの授乳・離乳状況の年齢変化を復元できるのです.
対象・方法
対象としたのは,縄文時代の遺跡である吉胡貝塚 (愛知県田原市) から発掘された46個体分のヒト小児骨と47個体分の成人骨です.骨からコラーゲンを抽出し,炭素・窒素同位体比を測定しました.成人のデータの大部分は,先行研究 (Kusaka et al., 2008, Anthropol Sci 116:171–181) で報告されたデータを参照しました.土器の型式や放射性炭素年代測定により,この遺跡は縄文時代の後晩期 (約4000–2300年前) から弥生時代のはじめ頃にかけて使われたことがわかっています.同位体分析の先行研究により,吉胡貝塚の縄文人たちは,陸上資源と海産物を主な食資源としていたことがわかっています.
共同研究者に協力をいただき,歯がどの程度生えているかという基準から,それぞれの子供の死亡年齢を推定しました.
結果・考察
分析とデータ解析の結果,吉胡貝塚の子供たちのあいだでは,3歳6ヶ月頃 (95%信用区間で2歳4ヶ月–5歳6ヶ月) に離乳が終わることがわかりました.世界のほかの地域のほかの時代ですでに報告されている狩猟採集集団の離乳終了年齢と比較すると,吉胡貝塚での離乳年齢はむしろ遅めでした.縄文時代の集団として土器や植物質の食物を利用するにもかかわらず,仮説とは反対に,吉胡貝塚の人びとの離乳終了年齢は早くなってはいませんでした.
過度の一般化はできませんが,土器や植物質の食物の利用それ自体だけで離乳終了年齢が早くなるわけではなさそうです.現代のヒトなどの研究から,子供の離乳年齢には,母親の労働形態,ほかの養育者からの協力,環境ストレス,社会経済的な要因などが影響を与えることがわかっています.もし狩猟採集からの農耕への移行にともなって離乳年齢が早くなったとしても,そうしたさまざまな要因がかかわっていたことでしょう.
また,人類学では,離乳後の子供には特別な食物が必要ではないかとする仮説があります.ほかの霊長類と比べてトの離乳の終わりは比較的早い一方,ほかの霊長類と異なり離乳後のヒトの子供は自分だけで食物をまかなえず,年上の個体から食物を与えられなければ生きていけません.歯や咀嚼器官が弱く,消化管も未発達で,自分で食物をまかなえない子供の成長を支えるために,特別に用意された食物を与えられなければならないのではないかという仮説です.
しかし,吉胡貝塚の子供の同位体分析の結果からは,そうした成人と異なる特別な食物の存在は示唆されませんでした.もちろん集団によって違いがあるため一般化はできませんが,離乳中・後の子供用に特別な食物があった場合,そうした食物が予期せず枯渇したりした場合,子供の食べるものがなくなってしまいます.成人と子供が同じ食物を食べていれば,そうした問題は生じないでしょう.また,食べている食物は同じでも,子供用には柔らかくしたりよく熱を通したり,そうした調理上の特別な用意をしていた可能性は十分にあり得ます (そしてこうした調理上の違いは,同位体比からは検出が困難です).
論文情報
プレスリリース
縄文時代の離乳年齢 —離乳食の利用は離乳を早めたか?— | 京都大学
雑記
吉胡貝塚は国指定史跡に指定され,いまでは吉胡貝塚史跡公園 (通称 シェルマ吉胡) となっています.遺跡発掘現場の貝塚の断面が公園内に展示されているほか,吉胡貝塚資料館も公園内に併設され,縄文人の暮らしや貝塚の様子を学ぶこともできます.
写真は,資料館のトイレ表示版 (2008年10月撮影).縄文風ですね.