HOME Introduction Research Other

Other > Essay > FENICS > Battle

この文章は,NPO法人「FENICS」の2019年3月25日発行のメールマガジンに寄稿したものです.編集・発行者の許可を得て,こちらに転載しました.


姑との確執

大きな問題は退院後に起こった。私も妻も長く休業し、ふたりで子育てに取り組む体制はととのっていたけれど、第一子だったため、子育ての実際の様子は子供が産まれるまでまったく予想できず、不安に思っていた。そのため、退院後1週間くらいから、妻の母親に沖縄に来てもらい、2週間ほどヘルプをお願いしていた。そして、姑の来沖 (人が沖縄にやってくることをこう言い表すことがあります) の2日後に、私と姑が大喧嘩してしまったのである。

我が家では普段から家事を柔軟に分担し、夫婦のどちらかが欠けても問題なく家のことがまわるようになっている。また、1週間の入院生活のあいだに子育てに関してあらゆることを助産師さんに質問しまくったおかげで、ふたりだけでも意外と十分やっていけるようになっていた。おたがい研究者であるから、産後の母親のコンディションや子供の育ちに関する医学的・科学的なエビデンスもよく調べていた。予期せず帝王切開になり1週間の入院生活を送って、授乳にも苦労していた妻の負担をできるだけ取り除こうと、産後、私はまめまめしく働いた。生まれてきた子供はとってもかわいい。妻とはよく話し合いをして、これまで以上に絆が深まったように思う。気が張っていたけれど、この先も大丈夫、という確かな自信がついていた。

そんなときに、姑が来てくれた。姑は小さい子が大好きで、家族規範も大切にする。一日中妻と子供の横を離れず、やさしく面倒を見てくれている姿が、しかし、そのときの私には苛立たしかった。その理由はふたつあった (と今ならわかるのですが……)。ひとつは、産後、夫婦で共に築き上げた信頼関係や生活基盤を姑が横取りするように見えて、嫉妬してしまったこと。もうひとつは、かよわい子供や産後の妻をできるだけストレスフリーにしてあげたいと気が張って、他人に対していつも以上に攻撃的な精神状態になってしまっていたこと。その結果、私は姑に対して過剰に厳しく当たり、姑はそれに反発して大喧嘩になった。言い争いのなかで、妻とは長い時間をかけて信頼関係を築いてきたが、姑とは結局まだ他人でしかないという私の家族観と、娘の夫であるならその母親も敬うべきだという姑の家族観の違いが浮き彫りになった。確執の真の原因は、おそらく、こうした家族観の違いにあったのかもしれない。

確執を解くためにはクールダウンの時間をとるのが最善と思われたが、幸い、私はすぐに東京に出張に発ち、非常勤の授業をしなければならない予定があった。姑は滞在期間をすこし短縮して、私が沖縄に戻ってくるのと入れ替わりで東京に戻っていった。

この話を知り合いにすると、その反応はいろいろだった。研究室の秘書さん (出産経験者) は「そんなことしていちばんストレスを感じるのは奥さんでしょうが!」と当事者目線からまっとうな指摘をくれた。知り合いの社会学者は、ふむふむ、とおもしろそうに聞いたあと「いわゆるイクメンが増えてるせいか、実は最近そういう話よく聞くんだよね。蔦谷くんの事例で3つめだ」と興味深いコメントをくれた。研究会でおしゃべりした子育て支援の研究者からは「産後はなんでもストレスになるから、それがなくても奥さんは結局どこかでストレスを感じていたと思いますよ。もし姑さんと蔦谷さんがうまくいってたら、今度は奥さんが嫉妬したりとか」となぐさめていただいた。

当の私は、現在、これは産後抑うつ症の男性版なのではなかろうか……などと無邪気な責任転嫁をしつつ、でもやっぱり申し訳ない気持ちでびくびくしながら、姑や妻の実家とどう関係を再構築していくのがいいものか……と悩んでいる。

(つづく)


Ocean in Yokosuka

出張の際に久しぶりの職場から見た早朝の海。妻には申し訳なかったけれど、産後すぐの時期は、たまにある仕事がむしろ「息抜き」だった。


連載「研究者の子育て」全話





HOME
HOME


Introduction
Introduction


Research
Research


Other
Other