この文章は,NPO法人「FENICS」の2019年1月25日発行のメールマガジンに寄稿したものです.編集・発行者の許可を得て,こちらに転載しました.
授乳
ふだん、ヒトやサルの授乳・離乳や子育てのことを研究している。今回、妻の妊娠出産と母乳育児確立を間近に見て、いろいろなことを学んだ。まさに、百聞は一見にしかず。
妻の乳房は乳汁分泌をなかなか本格的に開始せず、出産後の2日間は焦りの時間だった。できれば母乳哺育が好ましいとか、ミルクの補足をすると母乳育児の確立が難しくなりかねないとか、これまでに学んだ経験の伴わない知識が頭のなかを駆けめぐり、心の中は穏やかでなかった。けれど、それを顔に出してしまうと妻も緊張してしまうだろうなと思い、のんきな気分でいることを自分自身に言い聞かせていた。一方の妻はいたって平静で、出ないものは仕方ないけど、まあいろいろがんばってみる、と、助産師さんのアドバイスや書籍を参考にしながら、「はいはいどうぞ〜」と子供を乳房に抱き寄せていた。帝王切開の痛む傷痕をかかえながらも、妻がそうした動じない態度でいることに、私は大いに助けられ、あらためて「この人はたいした人物だ」という感嘆を新たにした。
WHOの提示している「母乳育児成功ための10ヶ条」の第2条は「全ての医療従事者に母乳育児をするために必要な知識と技術を教えること」というものである。今回、この条項の意味を身にしみて理解した。乳汁分泌がなかなか開始されないなか、助産師さんたちは親身になって真夜中まで対応してくださり、乳房のくわえ方、抱き方、後述するカップフィーディングのやり方などを教えてくださり、マッサージなども紹介してくれた。(私はというとしばしばそれを横で見て、ほうほう、こうするのね、と実地に観察していました)。助産師さんたちは、母乳育児を目指す私たちに対しネガティブな言動をされることも一切なく、常に協力的だった。特にはじめての子供の場合、両親はともに授乳や子育て初心者であり、ポジティブな雰囲気を持った経験者がまわりにいることが非常に重要ではないかと思う。医療従事者は、新米の両親に対してはある種の権威者であり、そうした人たちが母乳育児にどのような態度を取っているかで、母乳育児の方向性がかなり左右されそうだな、という強い印象をもったのだった。
産後2日目の朝、共同研究者であり2児の母でもある久世濃子さんにメールを出し、「なかなかおっぱいが出ないのです」と相談をした。ありがたいことに、「私もなかなか乳汁分泌が軌道に乗らず、入院中はいつもミルクを足していました。焦らず、母親がリラックスすることが大事ですよ」と、すぐに詳細かつ丁寧な返事をくださった。このお返事を読んで、ひといきに気が楽になり、夫婦ふたりで話し合った後、2日目の夕方には、助産師さんに教えてもらいながら、プラスチックコップで子供にミルクを与えた。(乳房と哺乳瓶では適切な吸い方が異なるため、子供が混乱しないよう、母乳育児が確立していない段階では、コップやスプーンでミルクを与えると良いとされています)
それまでは、ギャン泣きをして、乳房をくわえながらも怒りだして首を振って口を離してしまっていた子供が、お腹が満たされたとたん、すっと静かになり、その後、はじめてよく眠ってくれた。「お腹が空いてたのか、ごめんね……」という罪悪感を感じつつ、私は、これまで学んできた知識の意味を、頭の中で静かに問い直していた。
商業主義の粉ミルクが子育てを席巻し、子供から母親の乳房が「奪われた」20世紀はじめから中頃にかけての反省から、完全母乳に強くこだわる医療従事者の方たちがいる。研究活動を通じてそうした方たちの話を聞き、生後3日間は子供は飲まず食わずでも大丈夫! とか、ミルクの補足は良くない! といった価値観を知らずのうちに内面化していたことに気づいた (自分はそういう価値観には染まらずに中立でいると思っていたにもかかわらず!)。しかし、目の前にいる、お乳があまり飲めずに体重が減ってギャン泣きする我が子と、そうした知識は、どうも食い違っているように見えた。久世さんからメールをもらってはじめて、必要に応じてミルクを足しながら母乳育児確立を目指す、という選択肢が頭の中にインストールされた。すこし極端でも声高に「完全母乳!」と叫ばなければ母乳育児のメリットすら伝わらなかったひと昔前とは違い、現代の親たちはしっかり勉強をして、母乳やミルクのことをそれなりに知っていると思う。そうした状況で取るべき戦略はひと昔前とは違うものであり、個々の親子の現状や知識レベルに合わせて、柔軟にサポートを提供していく必要があるのだなと思ったのだった。(もちろん医療の関係者たちもそのことは認識しており、たとえば世界展開する母乳育児支援団体であるラ・レーチェ・リーグは、ひとりひとりに寄り添う支援を目指し、「完全母乳」という言葉も使うことをやめたりもしています)
(つづく)
破水した夜に家の前の木にとまっていたオオコウモリ。