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この文章は,NPO法人「FENICS」の2018年12月25日発行のメールマガジンに寄稿したものです.編集・発行者の許可を得て,こちらに転載しました.


妊娠・出産

ふだん、ヒトの授乳や離乳など、「おっぱい」にまつわるいろいろのことを研究している私にとって、子供の誕生というライフイベントは、学んだ知識や理論を実地に検討するフィールドワークのようなものでした。椎野さんからお誘いを受け、何ヶ月かに渡って、そんな私の「フィールドワーク」について書いてみることとなりました。

子供が産まれたのは、予定日から1日遅れた火曜のことだった。妻も研究者であり、わたしたちはふだん、神奈川と沖縄に別れて住んでいる。職場や上司の理解のおかげもあり、所属機関の休暇制度をフルに利用して、私は予定日の3日前に沖縄に移動した。……そう、3日前。私の所属機関では育休関連の制度がかなり整備されているほうだと思うのだけれど、やはり、夫婦の同居を前提としており、第一子の場合、育休や特別休暇 (男性のとれるものには、育児”参加”休暇という名前がついています!) は、子供が産まれた日からでなければ取得できなかった。予定日は前後2週間くらいずれることがあるけれど、出産日が後ろにずれて、ここでたくさん有給を消費してしまっても……という思いと、かといって出産が前にずれてしまったらどうしよう……という思いのあいだをとり、3日前ということになったのだった。

妊娠期間中、妻は比較的元気で、つわりの時期に眠気が増した以外は、ほとんど普段と同じような生活を送れていたそう。実際、予定日の2日前には山羊汁を食べに行き、予定日当日にも職場に顔を出したりしていた。実は沖縄では、妊婦が山羊を食べると陣痛が来るという民間伝承があり、食いしんぼうの私たち夫婦は、これを口実に、早く産まれて来てね〜と、おいしい山羊汁を食べに行った。

そのかいあってか、予定日当日の夜中に妻は破水し、眠い目をこすりながらの入院となった。破水はしたものの陣痛はなかなかやって来ず、翌日の午後に陣痛促進剤を使いはじめた数時間後、お腹のなかの子供の心拍が急に低下し、たくさんのお医者さんや助産師さんたちが大急ぎで駆けつけ、「旦那さんは外でお待ちくださいね」とすぐに部屋の外に出された (ちなみに病院で「旦那さん」とか「ご主人」と呼ばれるのにも、妻は犬かなんかじゃないわい! ととても抵抗がありました)。このとき、緊急帝王切開で子供を取り出すことが決まった。お医者さんより緊急帝王切開の説明を受け、配偶者として私がその場でサインをしたのだけれど、このときなんとなく旧姓を書いてしまい (改姓はどれだけ面倒なのかを体験してみようと、結婚に際して私のほうが姓を変えました)、「奥さんとはどういうご関係ですか…?」と訝しげに質問されたことを覚えている。

帝王切開でも、希望していた立ち会いができるようで、ほっとする。用意されていた服に着替えて手術室に入ると、手術台の上に、酸素吸入のマスクをつけた、ものものしい雰囲気で妻が寝ており、チューブやケーブルがいろいろ伸びている。青いカバーの部分は無菌状態なので触らないでくださいと説明を受け、手術が開始された。直視するとなかなかえぐい気持ちになる器具 (先端が曲がったステンレスのくつべらのような) で妻のお腹の切開部分が持ち上げられているのを横目に眺めつつ、妻の手を握っていると、ものの5分から10分ほどで子供が取り出されてきた。

手術の後、新生児室のガラス越しに子供を眺め、脈拍を測り血栓を防止する機械と点滴に繋がれた妻の横のベッドで寝ているとき、いまのところ無事に物事が進んでいるという安心感とともに、圧倒的な無力感を感じたのだった。ヒトの繁殖生理のことはひととおり学んだのに (あるいは学んだからこそ?)、妊娠も出産も授乳もできない男性である自分の頼りなさが強烈に意識されてきた。せめて、自分ができるところだけはしっかりできるようにしておこう、と心を引き締めた。

(つづく)


View from the window of the hospital room

病室から見えていた景色。さわやかに晴れた心地よい日が多く、窓を開け放していることが多かった。


連載「研究者の子育て」全話





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