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この文章は,NPO法人「FENICS」の2019年6月25日発行のメールマガジンに寄稿したものです.編集・発行者の許可を得て,こちらに転載しました.


育休

私 (神奈川) と妻 (沖縄) は勤務地が離れており、同居して主体的に育児をするため (「育児を手伝う」とか「育児に関わる」ではなく)、私は、少なくとも1年間は育児休暇をとることにした。育児休暇中は、雇用保険から育児休業給付金が支給され (つまり雇い主の財布を痛める心配がありません)、子供が1歳になるまでのあいだは賃金の67%から50%が保証される。博士号をとるまでに学費や奨学金 (という名の金融ローン) で負債を抱え、任期付きの職を転々としながら数年先どうなっているかも見えない生活費の心配をする若い研究者夫婦にとって、この制度は本当にありがたい。

しかし、私が育児休業給付金を受けるに際して、問題が生じた。支給要件として、育休に入るまでの2年間で、勤務月が12ヶ月以上なければならない。現在のポスドク職には2018年4月から就いており、子供が生まれたのは2018年の11月で、勤務月が7ヶ月しかなかった。2018年3月までは学振PDの研究員として給料をもらいながら研究をしていたものの、学振やハローワークに問い合わせると、研究員と学振や大学のあいだに雇用関係はなく、雇用保険にも加入していないため、学振の採用期間は勤務月としてカウントされないのだという。(この「雇用関係にない」問題は、学振研究員が子供を認可保育園に入れようとする際にも大きな障壁になっていると聞きます……)

この衝撃の情報を聞いたあと、私と妻はスプレッドシートにカレンダーを作り、所属機関の勤務表をにらみながら、何度も計算をした。2018年11月から2019年3月までの5ヶ月間を、振替休日や有給休暇や必要に応じた勤務で乗り切りながら、12ヶ月分の勤務月を達成し、育児休業給付金が支給される要件を達成して、2019年4月からはじめて正式な育休を取ることにしたのだ。フィールドワーカーの端くれである私は、フィールド調査が休日にかぶることが多く、振替休日が比較的多く溜まっていた。勤務月と認定されるには勤務日が11日以上なければならず、これを達成できるよう、子供が生まれてからのスケジュールを綱渡りのようにやりくりする計画を立てた。沖縄と神奈川を何度も行き来し (もちろんその交通費は自費です)、最低限の仕事はしっかり進めつつ、大部分は妻子と同じ場所に暮らし子育てができるようにした。妻も私も実家が東京にあり、妻は出産後から2019年3月まで育休をとっていたため、この期間の後半は妻子とともに実家に暮らし、私だけ横須賀の職場に出勤するような形になった。

何よりも本当にありがたかったのは、職場の上司や同僚たちがこうした計画に対して非常に協力的だったことだ。見ようによっては、勤務と育児がごっちゃになり、どちらも中途半端になってしまう恐れをはらんでいる。そんなことならすっぱり無給の育休に移ってしまうか、育児はあきらめてフルタイムで仕事をするべきだと言われる恐れもあった (とはいえ、研究者の仕事は、腰を据えて実験ができないならデータ解析をしたり論文を書いたり、状況にあわせて自分の裁量で進めていけるのが大きな特徴ではあるのですが)。けれど、職場の人たちはそうしたネガティブなことを一切口にせず、やりくりのためにときどき迷惑をかけてしまう私に、「育児は大変だけど楽しいからがんばってね!」「困ったことがあったら何でも言ってね!」と常にポジティブな励ましをくださった。そうした温かい協力のおかげで、支給要件を達成でき、私は2019年の4月から「本当の」育休に入った。

ところがこのやりくりの過程で、自身の視野の狭さに驚愕するような事実を知る。これについてはまた次回。

(つづく)


Sueyoshi park

休業中はよく散歩している。


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