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この文章は,NPO法人「FENICS」の2019年5月25日発行のメールマガジンに寄稿したものです.編集・発行者の許可を得て,こちらに転載しました.


寝かしつけ編

子供が生後半年を過ぎた今でこそ、夜は長い時間よく眠ってくれるようになり、夜間に起きる頻度は2回くらいとなった。比較的ころんと眠りに落ちてくれるようにもなり、子供の体重が増えて抱える腕が痛くなり肩がこるようになった以外は、寝かしつけも以前よりはずっと楽になった。

しかし思い返せば、生後1−2ヶ月の頃は、寝かしつけに関して非常に苦労した。眠たくなってくると子供は泣き、そのままにしておくと興奮が増して泣き叫ぶようになり、手がつけられなくなる。しばらく抱っこしてゆさゆさしていると落ち着いて眠ってくれるのだけれど、そのやり方に関する最適解がいつも違うようなありさま。あるときはスリングに入れて外に出て夜の町を20分ほど歩くことだったり、おくるみで包んでドライヤーの音を聞かせながら (胎内にいたときと同じようで安心するらしい) 左右に揺らすように抱っこしていることだったり、どうしても眠ってくれないので「さっきも飲んだのに〜」と妻が授乳を始めたら乳房をくわえながら寝落ちしたり。

眠った後もひと苦労。布団にそろそろとおろす呼吸を誤ると、パッと目があき、途端に泣きはじめる。あわてて抱き上げるとまた安心したようにすやすやと眠りはじめる。俗に言う「背中スイッチ」である。ようやく布団におろし、さあやっと自分の時間がとれる! と仕事を始めても、きっかり30分経つと泣き声が聞こえてきて、子供は目を覚ましているのだった。夜はだんだん長い時間まとめて眠ってくれるようになっていったものの、生後3−4ヶ月ほど、昼寝の時間は常に30分間で、育児本などに書かれた「赤ちゃんがお昼寝しているあいだの2時間は自分の時間!」などといった記述を読んでは、「こんな赤ちゃん実在するのか……」と妻と顔を見合わせていた。

両方とも育休や有給をとっていたとはいえ、私も妻も研究者であり、家でも病院でも、やろうと思えば仕事はいくらでもできてしまう。データ解析、文献の読み込み、論文書き、そうしたことをまったくせずに過ごしていては、任期付きのただでさえ先の見えないキャリアがさらに暗いものとなってしまう。

そうした意識から、最初は、効率を重視した戦略をとっていた。どちらかが子供の面倒を見ているときは、もう一方は眠ったり仕事をしたり。しかし、この戦略のもとでは不満がたまった。仕事ができるという意識でいると、競り合いになり、そのとき育児のタスクに入っていない相手が恨めしく思えるようになってしまった。また、私がひとりで夜の寝かしつけに入っていると、気持ちが不安定になることもあった。結局、妻も私もふたりとも「休業」しているのだから、仕事は最低限と思うことにして、効率よりは納得感を重視しよう、ということになった。その結果、ふたりのあいだに余裕ができた。子供が夜中0時まで泣き叫んで寝ない夜があったりもしたけれど、明かりを落とした部屋のなか、妻と私でひそひそおしゃべりをしたりしながら面倒をみていたら、かえって、これはこれで楽しいものに感じられた。

子供が生まれた後、あきらかに研究時間は少なくなった。しかし、そのぶん可処分時間の貴重さが身にしみて、その時間を集中して使えるようになった。また、両者が育児休業をとることで、子育てを通して夫婦が向き合う時間の長さやその深さが増し、以前にも増して互いのことや自分自身のことをよく知ることができたように思う。

(つづく)


City in a night

夜の散歩のときに見下ろした街の様子。


連載「研究者の子育て」全話





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