象牙質を連続切片にして分析する数理モデル
- 幼少期の食性変化を復元できる手法として、歯の象牙質を1 mm厚の連続切片にして安定同位体分析する手法が最近登場しました。
- しかし、この手法については、切片に年齢をあてはめるプロセスが不正確であることが指摘されていました。
- 本研究では、象牙質の成長やミクロ構造を数理モデルで表し、従来考えられていたより、年齢のあてはめがずっと不正確であることを明らかにしました。
- 象牙質の連続切片にあてはめられた年齢が間違っていると、その個人の生きざまを誤って解釈する危険性があります。
背景
歯は胎児期から幼少期にかけて顎の骨のなかで徐々に形成されていき、形成が終わると基本的に組織は置換しないため、幼少期の記録を成人してからも保持しています。そのため、考古遺跡から発掘された成人個体の歯を連続切片にして、ひとつひとつ安定同位体分析していけば、離乳年齢や幼少期の食性変化を復元することができます (参考: ゆりかごから墓場まで)。
しかし、この手法には問題がありました。象牙質の成長する速度は変化するため、形成にかかる期間を切片の高さで単純に割り算して年齢をわりあてても、真の年齢からはずれが生じます。また、象牙質は積み重なった円錐コーンのような層状に成長していくため、象牙質を平行に切断すると、ほかの時期に形成された領域も入ってきてしまい、切片が反映する年齢幅が大きくなってしまいます。こうした問題は以前から指摘されていました。しかし、象牙質を連続的に並行切片にした場合、わりあてた年齢が真の年齢とどのくらいずれるかについては、これまで定量的に議論した研究がありませんでした。
本研究では、ヒトの歯の象牙質の形成や成長に関わる解剖学的なパラメータをもとに、象牙質の成長を記述する数理モデルを開発しました。そしてこのモデルを仮想的に切断して、わりあてられた年齢と真の年齢とどのくらいずれているかを推定しました。
対象・方法
数理モデルはR言語を利用して作成し、MDSSというパッケージとして公開しました。
結果・考察
分析の結果、象牙質の並行切片にわりあてられる年齢は、切片が反映している真の年齢に比べて、歯種ごとの平均で-2歳から+0.5歳ずれていることがわかりました。また、ひとつの切片にわりあてられる期間は6–8ヶ月程度なのに対し、実際は3–4倍広い期間の値を反映していることがわかりました。開発したモデルを先行研究で報告されたデータに適用すると、象牙質の連続切片は、特に数ヶ月程度の短い期間の食性変化を正確に反映していないことが示唆されました。
象牙質を連続切片にして食性変化を復元する研究は近年次々と出版されていますが、解剖学的な裏付けがきちんととられておらず、根拠のない仮定のうえに分野が築かれつつあります。本研究はそうした現状に対して、定量的・客観的な視点から問題点を指摘したものです。成長線に沿った切片化の手法や、切片ではなく微小な領域のみを切り出す手法も提案されており、貴重な歯標本を破壊分析する際には、解剖学的に妥当なそうした手法を用いることが強く推奨されます。
論文情報
雑記
2017年の4月にカナダのバンクーバーで開催された国際学会で関連する講演を依頼された際、発表スライドを作りながらこの研究のアイデアを思いつきました。それから3年、アイデアが行き詰まって一時中断したり、新たなパラメータを取得することを思いついたり、プログラムコードのバグフィックスを繰り返したりしながら、ついに論文発表までこぎつけました。第一大臼歯であれば3分の1から半分くらいは形成が終わっている期間です。写真は、バンクーバーのブリティッシュコロンビア大学人類学博物館に収蔵されている、カナダ先住民にルーツをもつ芸術家による彫刻作品 (2017年4月撮影)。