ゆりかごから墓場まで: 明石藩家老親族の生活史復元
- 多組織の多元素同位体分析により,明石藩の家老親族だった,あるおばあさんの生活史を復元しました.
- 離乳終了年齢は1–1.5歳と,江戸時代にしては早めでした.
- おそらく,27歳のときの居住地の移動にともなって,食性が変化していました.
- 老年期には,海産物の摂取が意外に少なめだったようです.
- 棺桶に一緒に入っていた籾殻は,人骨より80–120年ほど古いものでした.
背景
過去の人びとの暮らしや生き死にを復元することが,人類学・考古学の大きな研究目的のひとつです.これまでの研究の多くでは,集団を対象として,集団の傾向として,そうした復元がなされてきました.しかし近年,さまざまな分析手法が発展したことにより,たった一個体の生活史を詳細に復元することも可能になってきました.
同位体分析によって個体の生前の食性が復元できますが,異なる元素を利用すれば,異なる側面が明らかになります.炭素・窒素は食性の全体的な指標ですが,硫黄の安定同位体比は特に海産物摂取の指標となります.年代がわかっている個体に放射性炭素年代測定を実施すると,海産物の摂取割合がわかったりもします*1.窒素同位体比や酸素同位体比の変化からは,授乳や離乳の履歴も復元できます.
人骨の異なる部位を分析すれば,異なる時期の食性が復元できます.肋骨など多くの骨は死亡前10–20年程度の平均的な食性を反映します.一方,歯は幼少期の記録を保持し続けます.よって,たとえば老年個体について,骨を分析すれば老年期の,歯を分析すれば幼少期の食性が復元できてしまうのです.また,人骨だけでなく,お墓に一緒に入っていたモノ (遺物) を分析することで,個体に関する周辺情報を得ることも可能です.
本研究では,こうした多元素・多組織の同位体分析によって,江戸時代のある女性老人個体の生活史を詳細に調べました.
対象・方法
対象としたのは,明石藩の家老のおばあさんであったST61という個体です.雲晴寺 (兵庫県明石市) の境内に埋葬されており,一緒に出土した板牌の情報から身元が判明しました.1732年に77歳で亡くなった女性でした.棺桶のなかには籾殻が大量に入っており,この遺物も分析の対象としました.なお,子孫の方のご高配により分析の機会をいただき,本人骨は改葬されました.
形態の情報や,肋骨の炭素・窒素安定同位体分析はすでに結果が報告されていました (長岡ほか. 2013. Anthropol Sci (Japanese Ser) 121: 31–48).その研究によると,高齢であるためか関節炎などの症状があちこちの骨に見られ,また,江戸時代人としては比較的高めの窒素同位体比を示したが,炭素同位体比は高くはなかったということでした.安定同位体分析の結果は,ST61の老年期の食性タンパク質源が,海産物,淡水魚,施肥された米のいずれかであったことを示唆しますが,詳細は不明でした.
本研究では,以下のような同位体分析を適用しました.カッコ内に示したのは,その分析によって明らかにしようとしたことです.
- 歯象牙質連続切片コラーゲンに炭素・窒素同位体分析 (幼少期の食性)
- 肋骨コラーゲンに硫黄同位体分析と放射性炭素年代測定 (海産物摂取)
- 籾殻に硫黄同位体分析 (当時の施肥内容)
- 籾殻に放射性炭素年代測定 (埋葬後の撹乱)
結果・考察
歯の象牙質の連続切片の炭素・窒素安定同位体分析からは,離乳年齢と幼少期の食性がわかります.離乳は急速に進み,1歳–1歳半くらいまでには,母乳の寄与はほとんどなくなっていました.これまでに調べられている江戸時代の町人の離乳はゆっくり進み,離乳の終わりも3歳くらいです (参考: 都立一橋高校遺跡における授乳・離乳習慣復元).ST61の,急速で,終わりも早くなってる離乳が,高い社会的地位のためなのか,個人的な理由 (母親/乳母の死亡など) のためなのか,将来的な研究が必要です.
離乳後の幼少期の食性を反映している象牙質と,老年期の食性を反映している肋骨の,コラーゲンの炭素・窒素安定同位体比を比較したところ,大きな違いが見られました.古文書の調査によって,ST61は27歳で越前から明石に住居を移したことがわかっています.越前と明石で,食性の同位体比のベースラインが違っていたり,食生活が変化したことで,幼少期と老年期で,同位体比に違いが現れたと考えられます.
硫黄安定同位体分析や,年代既知個体の放射性炭素年代測定によって,海産物の摂取割合が推定できます.海産物の硫黄同位体比は特定の範囲の値をとりますが,ST61の肋骨の値はそこから大きく外れていました.また,放射性炭素年代測定とデータ解析により,ST61の老年期の食性に占める海産物のタンパク質寄与率は,17%程度だったことが明らかになりました.これらの結果は,明石という海に面した地域に住んでいながらも,ST61の老年期の食性には,海産物がそれほど多くは入っていなかったことを示唆します.
籾殻の硫黄同位体比を測定したところ,海の範囲に非常に近い値が得られました.このことは,当時の水田で,海産物由来の肥料が使われていた可能性を示唆します.実際,江戸時代の農書には,干鰯などの魚を利用した肥料が記載されています.ただし,遺存体は,土の中に埋まっているあいだに外部由来の元素によって汚染されてしまうことがあります.特に植物遺存体の硫黄同位体比については,汚れの有無を検出する基準が確立されていないため,本研究の結果は,そうした汚れに影響されている可能性もあります.
籾殻が江戸時代のものなのか,現代のものが混入したのかを調べるため,放射性炭素年代測定を実施しました.その結果,籾殻の年代は,ST61の死亡年1732年より80–120年ほど古いものであるというデータが得られました.お墓は,埋められた後も二次埋葬などで撹乱を受ける可能性がありますが,籾殻は当時のものがそのまま残ったと考えられます.また,江戸時代の農書には,籾殻はなにかと役に立つので大事にとっておくべしといった記述もあり,大事にとっておかれた古い籾殻が,ST61の埋葬の際に用いられたのかもしれません.
注
*1 海には,古い時代の二酸化炭素が大量に溶け込んでおり,深層水などを循環しています.そのため,海産物の放射性炭素年代は,陸に比べて,世界的な平均では400年ほど古くなります (地域的なばらつきも大きいのですが).ある個体の放射性炭素年代に影響を与えているのが陸 (大気) と海だけだとすると,既知の年代からどれだけずれているかを調べることで,海産物由来の古い炭素の寄与率 (= 海産物の摂取割合) を計算できるのです.
謝辞
ご遺体を研究資料として提供してくださいました子孫のみなさまに,この場を借りて感謝申し上げますとともに,ST61のご冥福をお祈りいたします.
論文情報
研究紹介
ゆりかごから墓場まで — 生物考古学が明らかにする江戸時代のあるおばあさんの一生 | academist Journal
雑記
ST61の頭蓋骨レプリカとその復元模型が,2013年の国立科学博物館の企画展「江戸人展」で展示されていました.人骨の形質的な研究成果を中心に,江戸時代人の生活を多方面から取り上げたすばらしい展示でした.もしまた開催された際にはぜひ.
明石は,鯛,タコ,明石焼き,日本標準時など,いろいろ名物のある街です.雲晴寺には一般の方もお参りができますし,明石城址に建てられた市立博物館もあります.お近くに足を運ばれた際には,ぜひ明石を訪れてみてください.写真は,JR明石駅前の鯛です (2016年6月撮影).