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オホーツク文化・モヨロ貝塚における授乳・離乳習慣



背景

5–13世紀頃,サハリン,北海道,クリル・千島諸島に,定住的な狩猟採集漁撈集団のオホーツク文化の遺跡がみつかるようになります.年代との対応についてはまだ議論がありますが,オホーツク文化は5–6世紀頃にサハリンや北海道北部から南下をはじめ,7–9世紀に北海道東部の沿岸を急速に拡散してクリル諸島に達し,10世紀以降には縄文時代から北海道にいた人びとの文化 (擦文文化) に吸収・融合されていきます.オホーツク文化が分布域を拡大していく際に人口増加があったとする考古学上の仮説がありますが,実証的な検討は行なわれてきませんでした.

過去の人類集団について人口動態を復元することはなかなか困難ですが,授乳期間を復元することで,集団の出生率を推測することができます.授乳時の搾乳刺激は,内分泌ホルモンを介して,女性の排卵再開を抑制します.このため,栄養条件が同じなら,授乳期間が短いほど (つまり離乳の終わりが早いほど) 出生間隔も短くなり,出生率も高くなる傾向があります.

この原理に着目し,本研究では,分布域を拡大していった時期のオホーツク文化集団における離乳年齢を復元し,当時の人口動態について考察しました.もし離乳の終わりが早ければ,高い出生率が予想され,オホーツク文化の拡散に人口増加がともなっていた可能性が支持されます.授乳期間と出生率との関係や,出生率と人口動態の関係はそう単純でもありませんが,とにかく手がかりの少ない過去の人口動態を議論するためのひとつの指標として,授乳・離乳に着目しました.

方法には安定同位体分析を利用しました.母乳や食物に含まれる炭素や窒素の安定同位体は,トレーサーとなって,ヒトの体組織に記録されます.遺跡から発掘された古人骨に含まれる同位体を分析することで,離乳年齢や離乳食の内容がある程度おおまかに復元できます.



対象・方法

対象としたのは,モヨロ貝塚 (北海道網走市・5–13世紀) から発掘された59個体分のヒト小児骨です.骨からコラーゲンを抽出し,炭素・窒素同位体比を測定しました.成人や動物のデータは先行研究の結果を参照しました.放射性炭素年代測定により,この遺跡の成人骨の多くは500–900 calADの範囲の年代を示すことが報告されており,この時期はオホーツク文化が北海道東部の沿岸を拡散した時期と重なります.

共同研究者に協力をいただき,歯がどの程度生えているかという基準から,それぞれの子供の死亡年齢を推定しました.



結果・考察

分析とデータ解析の結果,モヨロ貝塚の子供たちは,1歳10ヶ月頃 (95%信用区間で1歳5ヶ月–2歳2ヶ月) に離乳の終わりを迎えて母乳を摂取しなくなることがわかりました.後の時代の北海道やサハリンのアイヌ集団については,文化人類学的な調査によって,離乳の終わりが2–3歳であったことが報告されています.また,同じような同位体分析によって,北海道や,ロシアのBaikal湖や,スウェーデンのGotland島に暮らした北方先史時代の狩猟採集集団で,離乳の終わりは3歳や4歳以降であったことが示されています.これらの知見から,分布域を拡大した時期のオホーツク文化における離乳の終わりは比較的早かった,つまり出生率が比較的高かった可能性が示唆されます.

ひとつの遺跡での離乳年齢を調べただけですが,本研究の結果から,オホーツク文化が分布域を拡大した際には,比較的高い出生率を示していたことが示唆されます.なお,死亡率については,古人口学の先行研究により,本州の縄文文化に比べて,オホーツク文化の成人のあいだでは老年で死亡する人の割合が大きかったことが示されています.

オホーツク文化は,同時期に北海道に分布した擦文文化に吸収・融合され,擦文文化は後にアイヌ文化に変容していきます.近年,アイヌ文化・集団の形成において,オホーツク文化の果たした寄与が案外大きかったのではないかとする研究結果が,形質人類学,遺伝学,言語学などで相次いでおり,本研究の結果もそうした知見と矛盾しません.

また,モヨロ貝塚の子供たちは,離乳の最中や前後に,成人より低い炭素同位体比を示しました.大人とは異なる離乳食が与えられていた可能性があります.実際,アイヌをはじめとする北方の狩猟採集集団の民族調査に,百合根や獣脂など,低い炭素同位体比を示す食物を用いた子供向けの食物の記述があります.



論文情報

Tsutaya T, Ishida H, Yoneda M. 2015. Weaning age in an expanding population: stable carbon and nitrogen isotope analysis of infant feeding practices in the Okhotsk culture (5th–13th centuries AD) in northern Japan. American Journal of Physical Anthropology 157: 544–555. DOI: 10.1002/ajpa.22740.


参考文献

イザベラ・バード (金坂清則 訳). 2012–2013. 完訳 日本奥地紀行. 平凡社, 東京.

米村衛. 2004. 北辺の海の民・モヨロ貝塚. 新泉社, 東京.


雑記

北海道網走市にモヨロ貝塚館網走市立郷土博物館というふたつの博物館があります.モヨロ貝塚館では,最新の遺物や情報がさまざまな見せ方で展示されており,野外では住居址や墓跡も公開されています.おすすめです.

下の写真は郷土博物館 (2015年4月撮影).1936年開館の,北海道ではもっとも古い博物館のひとつです.歴史を感じるすてきな建物や展示だけでなく,丘の上にあるため網走の町が見渡せます.

Abashiri City Museum, Abashiri, Hokkaido




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