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江戸時代の奉公と授乳期間の関係



背景

過去の人口台帳を丁寧に解析する歴史人口学の成果によって、江戸時代の都市では、若年人口による住み込みの奉公がよく見られたことがわかっています。江戸時代の前半 (17世紀から18世紀) には、江戸でも大阪・京都でも、奉公人の数が多かったようです。しかし、江戸時代の後半 (19世紀以降) になると、江戸の奉公人人口は大きく減少するのに対し、大阪や京都では変化がないかむしろすこし増加する場合もあることがわかっています。さらに、大阪では特に住み込み奉公期間が非常に長く、男性では37歳になってやっと結婚し自分の店を構えていたというような事例も明らかにされています。

若年人口の住み込み奉公は、当時の人口動態にどのような影響を与えたのでしょう? 住み込み奉公をしているあいだは自分の子供を持ったりできませんから、初婚年齢は上昇します。これは歴史人口学の研究によっても支持されており、例えば岐阜県の農村では、女性の平均初婚年齢が奉公 (出稼ぎ) 経験者では26.3歳なのに、未経験者では20.7歳だったことが明らかにされていたりします (速水・内田 1972, 徳川林政史研究所研究紀要 6:217–256)。特に女性では出産可能な年齢の上限がシビアに決まっているため、初婚年齢が上昇すれば、生涯に持てる潜在的な子供数が減少します。江戸時代の小児死亡率は今よりずっと高く、こうした状況で跡継ぎをきちんと確保しようとしたとき、奉公経験者は出産間隔を短縮させて、上昇した初婚年齢による子供数の減少の影響を補おうとするかもしれません。内分泌ホルモン動態の影響から、授乳期間と出産間隔は正に相関します。出産間隔そのものを歴史資料や古人骨から調べるの困難ですが、授乳期間なら調べられます。したがって、江戸時代の授乳期間を調べれば、奉公の経験が出産間隔に与えた影響を推定できるのです。

本研究では、京都における江戸時代後半の授乳期間を調べ、その結果を大阪や江戸の結果と比較しました。安定同位体分析という方法を利用することにより、古人骨から授乳期間を推定できます。



対象・方法

江戸時代後半の京都の授乳期間は、伏見城址遺跡から出土した古人骨の分析によって復元しました。大阪と江戸の授乳期間は、大阪府の堺環濠都市遺跡および東京都の一橋高校遺跡から得られた結果をそれぞれ参照しました。また、伏見の成人骨や一部の小児骨の値については先行研究の結果を参照しました (日下ほか 2011, Anthropol Sci Jpn Ser 119:9–17)。周辺都市の歴史人口学的な分析より、奉公の程度は、堺で大きく、伏見で中程度、一橋で低いと言えます。

共同研究者に協力をいただき、歯がどの程度生えているかという基準から、それぞれの子供の死亡年齢を推定しました。骨からはコラーゲンを抽出し、質量分析計によって、含まれる窒素同位体の比率を調べました。



結果・考察

分析した古人骨の保存状態が非常に悪く、当初の期待に反して、安定同位体比が測定できた10歳以下の小児は8個体のみでした。以下の議論は、この少ない個体数から得られた推論であり、より多くの個体や別な遺跡のデータが将来得られた場合、考察の内容が変わる恐れもあります。

分析とデータ解析の結果、京都の伏見城址遺跡では、授乳期間は2年5ヶ月 (95%信用区間は1年5ヶ月から2年8ヶ月) と推定されました。一方、大阪の堺環濠都市では授乳期間は1年11ヶ月 (95%信用区間は1年5ヶ月から2年8ヶ月) であり、江戸の一橋高校では3年1ヶ月 (95%信用区間は2年1ヶ月から4年1ヶ月) でした。つまり、住み込み奉公に従事する若年人口の割合が高いと考えられる集団ほど、短い授乳期間を示しました。この結果は、江戸時代後半の京都や大阪の人びとが、奉公によって上昇した初婚年齢に起因する出生力の低下を、意図的にせよそうでないにせよ、短い授乳期間とそれによる出産間隔の短縮によって補っていたかもしれないという仮説を支持します。

本研究では、江戸時代の状況と現代日本の状況も対比させて議論しています。江戸時代に住み込み奉公によって初婚年齢が上昇した現象は、現代日本で見られるような、長時間労働によって結婚や妊娠出産の機会が間接的に損なわれる状況と似ています。特定の形態の労働によって低下した出生力を補う戦略が、江戸時代では授乳期間の短縮だったのかもしれません。その一方で、現代日本人では、栄養状態が改善して授乳期間と出産間隔がそれほど相関しなくなっていることや、ある程度信頼に足るさまざまな避妊法が発達していることから、授乳期間を短縮しても合計特殊出生率 (生涯に産む子供の総数) にはそれほど変化がないと考えられます。それよりはむしろ、社会学の数多くの研究が示しているように、現代日本において出生力を増加させるのに重要な要因は、賃金・社会保障の向上やフルタイム雇用における労働時間の短縮であると言えるでしょう。

最後に、本研究では比較的小さなデータセットから、大きく一般化した議論を導いています。また、歴史人口学が対象とする集団が農村に偏っているのに対し、本研究のような生物考古学の研究が対象とする集団は都市に偏っているのも問題です。手法を洗練させ、対象を拡大することで、奉公をはじめとする労働形態と、授乳期間にから推論できる出生力の関係をより正確に把握できることでしょう。



論文情報

Tsutaya T, Kakinuma Y, Yoneda M. 2020. Reconstructed weaning ages in urbanized cities of premodern Japan provide insight into the relationship between employment and fertility. In: The bioarchaeology of urbanization: the biological, demographic, and social consequences of living in cities. Edited by Betsinger TK, DeWitte SN. Springer. p. 459–482. DOI: 10.1007/978-3-030-53417-2_18.



参考図書

松田茂樹. 2013. 少子化論—なぜまだ結婚、出産しやすい国にならないのか. 勁草書房, 東京.
斎藤修. 2002. 江戸と大阪—近代日本の都市起源. NTT出版, 東京.



雑記

京都市街の南東の外れにある東福寺の周辺に暮らしていた時期があり、自転車で伏見まで行くこともできたのでした。しかし、その場所に住んでいたあいだは「また機会があるさ」といつも思っており、そうして結局機会を逃したまま今に至ります。写真は伏見区にある宝湯 (2017年2月撮影)。すばらしく立派な銭湯でした。

Takara-yu at Fushimi Ward, Kyoto




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